中南米音楽研究会

2007/08/19 - 5 Comments »

Message from NEMO

こんにちわ。

少し涼しくなってきましたね。
お元気ですか?

さてさて、今日僕は、
早稲田大学の中南米音楽研究会の方々の
集まりに行ってきました。

場所は、八王子の南町にあるスナック。

平均年齢60歳。笑。

ご存知の通り、僕は早稲田大学出身ではありません。
中南米音楽研究会に所属していたわけでもありません。
60歳でもありません。笑。

なぜ行ったか?
実は、うちの父ちゃんの昔の職場で知り合った方が、
その中南米音楽研究会にいた方なのです。

その方をここでは仮に「Tさん」としておきましょう。
Tさんは、昔よく父ちゃんとスナックでハモっていた
仲間なのです。(ビリーバンバンの「白いブランコ」を)

そのTさんが今日、昔の仲間(中南米音楽研究会)を集めて、
30年ぶりにライブをするということで、急遽、父ちゃんに
誘われたのです。

夕方6時。ちいさなスナックの扉をあけると、
すでにライブは始まっていました。
父ちゃんと母ちゃんは先に着いていました。

ステージには、Tさんを含む3人が立っていました。
流れてくる音楽は、中南米音楽
ラテン音楽といったほうがわかりやすいかも知れません。

向かって右側はTさん。
中央には、良く見るとハーフかと思うようなダンディーな
おじさん。そして、左側には白髪の気品あふれる女性が
立っていました。
その3人のハーモニーがとても美しく、見事でした。
ポルトガル語でしょうか?発音もきれいでした。

ちいさなスナックは満席で、みんなが昔懐かしい音楽に
酔いしれ、口ずさんでいました。

僕らの世代では、この手の音楽を知る機会があまりないの
ですが、父ちゃんやTさんの、いわゆる団塊の世代の方々に
とって、中南米音楽というのはポピュラーで、当時一世を
風靡したようです。
トリオ・ロス・パンチョスをはじめ、様々な中南米音楽が
流行っていたようです。

ベスト・ヒット
ベスト・ヒット トリオ・ロス・パンチョス

スナックのマイクは、いわゆるスナックのマイクで、
過剰に、そして深すぎるくらいのエコーがかかっていて、
よくスナックの前を通りかかると、酔っ払ったおっさんの
歌声がマイクで拡張されて漏れてくる、あれとなんら変わりは
ないものでしたが、3人の実力たるや一流のものであり、
僕はしばし、頼んだビールも飲まず聞き入ってしまいました。

第一ステージを終えると、Tさんは僕の横に座ってくれました。
そして、Tさんが弾いていたギターを僕に見せてくれました。
ギターは、ガットギター(クラシックギター)なのですが、小ぶりで
ネックが短く、ボディーが分厚かったです。
いわゆるリキントギターと言われるものでした。

cg_type04.jpg

Tさんとは、8年ほど前に一度お会いしたきりでした。
Tさんは、少し布施明さんに似ています。飛びぬけた
歌唱力、声量についても、布施明さんに匹敵する
実力者です。

Tさんは中南米音楽が流行っていた当時、プロとして活躍した
方なのです。

8年ほど前にお会いしたとき、
Tさんは天ぷらやで、天ぷらを揚げていました。
僕は父ちゃんとその天ぷらやに食べに行ったのです。
父ちゃんは、Tさんについて話すとき、
素晴らしい歌声とギターを奏でる人なんだということ
をいつも僕に言っていました。

その天ぷらやでお会いしたときは音楽の話は
いっさいしませんでした。

僕がプロとして音楽をし始めたあたりでしたので、
世間話程度に音楽の話題にはなりましたが、
「頑張ってね」という程度で、決して自発的に
話そうとはしていませんでした。もっぱら
天ぷらを揚げるのはいかに難しいか、とかいう
話を終始なさっていました。

Tさんは、音楽に本気で向き合った方です。
すべてを捧げるほど音楽にのめり込んだのだと
思います。それが、音楽だけでは食っていけなくなった。
違う仕事をしながら趣味程度で音楽を傍らに置いて
おけなくなったのでしょう。
ギターも一切触らず、ライブもやらず、音楽の話なども
しなくなったその心境を、僕はそのとき少しわかるような
気がしていました。

そのTさんが今日、30年ぶりにライブをしたのです。

そして、今
こうしてまた会えたのです。

酒の席だったので、9割冗談を言っていましたが、
Tさんは音楽やギターの話をたくさんしていました。また、
僕とは言葉のない会話もたくさんしていたような気がします。

第二ステージが始まって2曲目あたりでしょうか。
Tさんがソロで歌い上げるミディアムナンバーは
決して悲しい曲ではないのですが、
涙がこみ上げてきてしまいました。

そんなこんなで、Tさんとの再会。
今日はそんな日でした。

ちなみに、

僕は仕事が残っていたので、
父ちゃんを残して先に帰りました。
もしかしたらその後、
父ちゃんとTさんで昔のようにハモっていたのかも
しれませんね。笑。

このブログを読んでいる方で
もし当時の中南米音楽が流行っていた状況について
知っている方がいれば、いろいろ教えてください。

ではでは。





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5 Comments

Monk Writes:

トリオ・ロス・パンチョスって”ベサメ・ムーチョ”の人でしたっけ?

カーティス・フラーが取り上げてるのしか聴いた事がないのですが、
本物はかなり渋そうですね。

ラテン音楽が日本でも流行っていたなんて少し驚きました。

ジャズファンがガレスピーから流れていったりしたのでしょうか?
色々知りたいです。

さ。 Writes:

じーーーーーん。

やる気をもらいました。

Les McCann Writes:

はじめまして。でもあなたの音楽は7年前から聴いています。昔よりずっと、あなたの言葉が分かってしまうから、つらいのだけど、その音楽が好きです。cool drive makersは本当にいいバンドでしたね。もし今、あのメンバーでアルバムを作れたら、どんなものができるんだろう。きっと、今のnemoの分、ずっとずっといい音楽ができるんだろうな、と。それを聴きたいな、と。

Tomo Writes:

ネモくん、こんばんは。
私は60歳よりずーっと若いので、中南米音楽が流行っていたなんて?
全然知らないのですが・・・。
とってもいいお話ですね。
Tさん、一時は音楽から離れ、別の仕事をしながらも、
やっぱり音楽を愛する心、魂は変わらなかったのでしょうか。
30年ぶりだなんて、感動ですね。
私としては、ネモくんのお父様の歌声を、1度
聴いてみたい気がしますが。(笑)
ネモくんは、ずっと歌を歌っていてくださいね。

Writes:

cool drive makers/COOL DRIVE と、━バランス感覚━センス━
抜群。

歌について━
お→を、etc…曖昧な語彙の発声、、、(味)を感じていました。
不自然でもいやらしくもなく、
聴けたのは、全てが音として在り
そう感じられたからとわかりました。
謙虚なセンスを永遠に。